半ドンとどんたく

明治維新以降、
日本人は、西洋文化を大いに受け入れ、
その影響は、暮らしの隅々にまで広がります。

武士は刀を置き、ちょんまげを切り、
羽織袴を背広とズボンに着替えました。

江戸時代には食べることを忌み嫌った牛肉や
血の色を連想させるぶどう酒など、
胃袋の中まで西洋を吸収していきます。

科学の世界においても
同じように西洋化は進みました。

1873年(明治6年)には、
月を暦として使う太陰暦から、
太陽の動きから暦を編む太陽暦が
利用されるようになります。

七曜制度が取り入れられ、
休日についても西洋式となり、
日曜日には、公務を休む事が決められました。※1

江戸時代に日本人の海外交通を禁止し、
外交や貿易を制限した鎖国の影響で、
明治維新後のしばらくの間は、
イギリスよりも長崎の出島から伝わっていた
オランダやドイツの影響の方が優っていました。

日曜日、休日や意味する
ドイツ語のSonntag(ゾンターク)
オランダ語のzondag(ゾォンダーク)という言葉も、
ドンタクと訛って日本国内に広まりました。

完全週休二日制になる前の日本で、
学校や仕事が午前中で終わり、
午後はお休みとなる土曜日の表現、
半ドンにもその名残りが残っています。

半ドンとは、
1日の半分がドンタクという意味です。

また、福岡市で開催される
「博多どんたく※2」祭りの名前にも、
そのしるしが残っています。

※1 太政官達(だじょうかんたっし)第27号 1876年(明治9年)3月12日。
※2 博多どんたく 毎年5月3日と5月4日に催され、動員数200万人を超える福岡市の祭り


缶入り飲み物の遷り変り

今やスーパーあるいはコンビニエンスストアでも、
大きな面積を専有している飲料コーナーですが、
清涼飲料の普及は、
さほど古いお話ではありません。

1951年(昭和26年)清涼飲料の先駆けとなったのは、
びん詰めの100%オレンジ果実飲料でした。

1954年(昭和29年)には、
5 ~6倍程度に希釈された化粧びん詰めの
オレンジジュースが販売されるようになります。

この当時の清涼飲料は、
飲み終わるとガラスびんをお店に返却し、
再利用するリターナブル容器が主流でした。

1955年(昭和30年)には、
缶詰めのオレンジジュースが登場します。

使い切り容器の登場です。

これと呼応するように、
同じ年には自動販売機による
清涼飲料の販売も始まります。

1961年(昭和36年)になると、
コーラの原液輸入が自由化されたことで、
コーラ飲料が本格的に販売されると、
清涼飲料は、全国に普及するようになりました。

清涼飲料の種類も増え、
1969年(昭和44年)には、
世界初の缶コーヒーが登場します。

スポーツドリンクやウーロン茶や緑茶、
缶入りの牛乳や豆乳も登場するようになります。

様々な清涼飲料が登場する中、
容器も遷り変わります。

清涼飲料の容器が、
ガラスからスチール缶の替わり始める頃は、
穴を開けるための缶切りが、
フタ部分についていました。

ある程度年齢を重ね方は、
遠足のお昼ごはんの時などに、
缶に缶切りで穴を開け、
オレンジジュースを飲んだ記憶が
残っている方もいらっしゃるでしょう。

その後アルミ缶の登場によって、
飲み口が改良された
缶切りのいらないプルタブタイプ缶が登場し、
容量や形も多岐にわたるようになります。

さらに、1980年代(昭和55年)には、
缶のプルタブをポイ捨てする環境問題などから、
タブが外れないプルトップ方式に切り替わりました。

近年、缶入りの清涼飲料は、
ペットボトルに主役の座を明け渡しつつあります。

したがって平成生まれの子どもたちにとっては、
プルトップ集めや缶切りがセットされたタイプの缶は、
実際には見たことのない昭和の歴史ということになります。


花よし味よしのレンコン

蓮の華(ハスのはな)は、
清らかさの象徴として称えられる美しい花です。

沼地に咲き、
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という
日本人にも馴染みの深い喩え(たとえ)がある
花でもあります。

もちろんご存知のように、
蓮の根つまり蓮根(レンコン)は、
秋から冬への美味しい食材としての方が、
馴染み深いかもしれません。

おせち料理に欠かせないレンコンは、
輪切りにすると、
丸い空洞から向こうが良く見えるため、
「見通しが良い」という縁起ぎの食材でもあります。

食用として知られているのは、
地下茎ですが、
東南アジアでは、
ハスの実もよく食べられています。

このレンコンには栄養素も多く含まれ、
根菜類の中でもっとも豊富なビタミンCをはじめ、
ビタミンB1、B12、カリウム、
レンコンの粘りのもとであるムチンや、
食物繊維も含まれています。

レンコンを切った時に糸をひくムチンは、
胃壁を保護し、
胃炎や胃潰瘍の予防に一役買ってくれます。

これは納豆やオクラ、里芋などに含まれる成分と同じで、
タンパク質や脂肪の消化を促進します。

中国から仏教とともに伝来し、
5世紀ごろ日本に入ってきたレンコンは、
その後全国に広まり、大切に栽培されています。

昔からレンコンは、
二日酔い、鼻炎や鼻づまり、下痢止め、
シミ、ソバカスに効果があると言われ、
今でも免疫力を高める健康に良い野菜として
食べられています。

年中出荷されているレンコンですが、
秋に獲れるレンコンは歯ざわりが柔らかくあっさりとし、
晩秋から冬のものは、
グッと粘りが出て甘味もまします。

様々な料理法で美味しく食べられる秋の根菜と言えます。

また、
ラーメンなどのスープを飲む時に使うレンゲですが、
サジの形が、散ったハスの花びら一片に似ていることから、
「散り蓮華(ちりれんげ)」と呼ばれるようになり、
今ではそれが省略され、レンゲとなりました。

※レンコン調理のポイント
ビタミンC、ムチンは水に溶けやすいので、
水にさらす、下ゆでなどのアク取り作業は、控えめにします。


お米の歴史を噛みしめる秋

稲刈りが終わった田んぼは、
秋から冬へと遷る風景です。

私たちにとって、
たいへん馴染みのあるこの景色は、
日本の原風景ともといえます。

今では、北は北海道から南は沖縄まで、
稲作は普及していますが、
かつては一部の地域でしか栽培できない
貴重な食料でした。

日本におけるお米づくりの歴史は古く、
少なくとも3000年以上前の縄文時代から
稲作は始まっています。

まず、地理的に大陸に一番近かった九州に
稲作の技術が伝わり、
日本のお米づくりは、
九州地方から東へと広がります。

驚くべきことに2200~2300年前には
青森県あたりまで稲作は広がっています。

稲作が広く普及した理由は、
原産地である東南アジアのように、
雨が多く降る季節と
雨が少なく暑い季節が
稲作に適していたということが挙げられます。

また、お米は食味がよく、
長期間の保存が可能であったことも
普及した理由の一つといえます。

主食になるにふさわしい
食料だったのです。

お米は、日本人にとって
単なる食物という枠を超え、
日々の生活様式や風習にも
深く関わる存在となっていきました。

毎年11月23日に、
天皇が秋に収穫した穀物を神様に祭る
行われる新嘗祭(にいなめさい)は、
飛鳥時代に始まったといわれています。

平安時代から伝わる芸能の田楽も、
田植えの前に豊作を祈願して行う
「田遊び」から発達したものといわれています。

現在では
田んぼなど殆どない東京都板橋区にも、
重要無形民俗文化財に指定される田楽が
存在します。

また、名勝負を楽しませてくれる相撲(すもう)も、
豊作の祈願する祭りでした。

相撲の立合いで見られる四股(しこ)には、
大地を力強く踏みしめ、
災いを追い払うという意味があります。

春夏秋冬の中でも、
一番お米が美味しいこの時期には、
日本で暮らす有り難さを
多くの人が感じているでしょう。


日本語はわくわくの宝庫

日頃なにげなく使う、
どきどき、はらはらなどという言葉は、
総称して「オノマトペ」と分類することをご存知でしょうか?

声や音、動作や感情などを簡略的に表し、
情景をよりわかりやすく表現する言葉として使われるオノマトペは、
いつから使われ始めたか定かではありませんが、
もともと古代ギリシャ語が起源と言われ、
世界中で使われています。

日本では、
消防車のサイレンの音は
「ピーポーピーポー」ですが、
フランス語だと
「パーンポーンパーンポーン(Pin Pon Pin Pon)です。

フランスの時計の音は、
さすがに時計が外来の品ということで
「ティクタク(Tic Tac)」と日本の表現と似ていますが、
暮らしの中の音、
たとえば、
くしゃみは:「アチューム(Atchoum)」のように
ずいぶん違っています。

日本でニワトリの鳴き声である
「コケコッコウ」の発祥には
面白い逸話があります。

かつて明治維新以前には、
お国言葉と同様に、
各地で様々なニワトリの鳴き声があったそうです。

ところが、ある時期からこれが統一されます。

そのキッカケは、日清戦争です。

戦地へ赴く兵隊を全国から招集したところ、
各地の方言が障害となって、
上官のいうことを理解できないという事態になりました。

そこで当時の文部省が、
急務として標準語を作ることになりました。

1900年(明治33年)に国定教科書を作り、
この時作られた教科書に
ニワトリはコケコッコウと鳴きますと表しました。

コケコッコウという表現を
教科書に書いたため、
その後、コケコッコウが全国に広がっていきます。

では、同じ日本人なら皆、
同じように聞こえるのでしょうか?

日本に住んでいる日本人には「コケコッコウ」と聞こえても、
海外に移住した日系移民の子孫たちには
どう聞こえているのでしょうか。

ブラジルに移民した日系三世のお孫さんには、
「クィ クィ レクィ(qui qui requi)」と聞こえるのだそうです。

ご察しのとおり、
ブラジルの母国語であるポルトガル語の
オノマトペが馴染んでいるのです。

ちなみに
ニュージーランドのマオリ族の人には
ニワトリの鳴き声は「コケッコ(kokekko)」と
聞こえるそうで、たいへん興味深いです。

世界各国にオノマトペの言葉は存在します。

たとえば英語には
「デコボコ(bumpy)」、「キラキラ(twincle)」など
数百語があります。

しかし日本語は、他の言語と比べると非常に多く、
英語の5倍以上あるといわれています。

日本語は、
心象を様々なオノマトペを使って表すことができる
わくわくする言語といえるのではないでしょうか。