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フランス語の難解な数字事情

アン・ドゥ・トロワといえば、
フランス語の1・2・3です。

バレイの基本練習で使わている言葉として、
広く知られていますが、
フランス語の数字の表現が難解なことを
知る人は多くありません。

その一例が70です。

フランス語が公用語として広く使われている
ベルギーやスイスでは、
「70」は septante(セプタン)
「80」はhuitante(ユイタン)
という10進法に準じた表現で使われていますが、
本家フランスでは少し事情が違います。

「70」は soixante-dix(ソワサント ディス=60と10)、
「71」は soixante-et-onze(ソワサン テ オンズ=60と11)、
「72」は soixante-douze(ソワサント ドゥーズ=60と12)と続きます。

その後の数字もなかなか難しいです。

「80」は quatre-vingt(カトゥル ヴァン=20が4)、
「90」は quatre-vingt-dix(カトゥル ヴァン ディス=20が4と10)、
「91」は quatre-vingt-onze(カトゥル ヴァン オンズ=20が4と11)となります。

シンプルな十進法現で数字が表現できる日本語でありがたいような気もしますが、
フィールズ賞※1という世界でも権威のある賞を
フランス人は13人も受賞しています。

今まで合計55人がこの受賞していますが、
フランスはアメリカと並び最も多くの受賞者を
輩出している数学先進国です。

数学の世界で、
フランスが一級の役割果たしている事実と
複雑な数字の表し方を生み出した国民性には
なにか関係があるのかもしれません。

※1フィールズ賞(2014年現在)
数学のノーベル賞とも呼ばれ、受賞は4年に1度で、
一度に4名までの受賞しか認められていません。
さらに受賞対象者は40歳以下と規定されているため、
ノーベル賞を受賞よりも難しいともいわれています。


ビタミンの発見者 鈴木梅太郎

皮膚や粘膜を丈夫に保ち、
感染予防にも効果があるビタミンA。

パソコンと向き合う時間が多く、
目を酷使する現代人にとって、
なくてなならないビタミンです。

ブタミンパワーとも呼ばれるビタミンB1 は
そのニックネームの通り、
豚肉に多く含まれています。

糖質をエネルギーに変える働きがある
ビタミンB1 は、
脳の働きの維持に重要な役割を果たしています。

ビタミンB1 は、
精製度が進んだ精白米にはあまり多く含まれていませんが、
胚芽米や玄米であれば豊富です。

ビタミンAやビタミンBの他に
ビタミンCやD、Kなども生命の維持に欠くことのできない
大切な調整素です。※1

これらの発見に大きな功績のある日本人がいます。

世界ではじめてビタミンB1の存在を明らかにした
鈴木梅太郎博士(1874-1943)です。

米ぬかの中に、
脚気(かっけ)を予防する成分(ビタミンB1)が
存在することを世界で初めて発表しました。

鈴木博士は、その未知の成分をアベリ酸と名づけましたが、
1912年にポーランドのフンクが、
米ぬかから同じ成分を分離し、
ラテン語で「生命」を意味する「Vita」と
窒素官能化合物アミン「amine」を合成した
ビタミン「vitamine」と名付けました。

その後、様々なビタミンの存在が明らかにされます。

2014年までに発見されているビタミンは、
水溶性ビタミンが9種類、脂溶性ビタミンが4種類の
合計13種類です。

ビタミンの研究は今も世界中で行われ、
その働きが明らかにされています。

これからも新しいビタミンが発見される可能性があります。

※1調整素
「ビタミン」は「代謝調節のための調節素」
「炭水化物」「脂質」「たんぱく質」は「エネルギーの源となる熱量素」、
「無機質(ミネラル)」は「人間の体そのものを作る構成素」
と分けられています。


白い筋肉赤い筋肉

プロの運動選手は、
より高いパフォーマンスを発揮できるように、
その競技に適するトレーニングを重ねます。

走ることが専門の陸上競技の場合、
100mや200mを専門とする短距離選手は、
数十秒の間に爆発的な走力を出せるような練習を重ねますし、
マラソン競技に出場する長距離選手は、
2時間を超えてもスピードが落ちないような持久力を
維持できるような練習を重ねます。

その結果、それぞれの種目に長けた筋肉が発達します。

体型を見れば明らかです。

短距離選手の場合、
胸が厚く、がっちりした太ももや分厚い胸板が特徴的です。

一方、長距離選手の場合は、同じ筋肉質ではありますが、
短距離選手と比較すると、スラリとした姿が特徴的です。

これは瞬発力を生み出す際に力を発揮する白筋(速筋)と
持久力に優れた運動をするのに向いている赤筋(遅筋)の
いずれを強化したかの差によるものです。

白筋の場合、
すぐに体内の糖をエネルギーとして使用し、
無酸素で瞬発力を生み出します。

ただし蓄えられている糖質がなくなれば、
燃料不足の状態となり出力がグッと落ちてしまいます。

一方、赤筋の場合は、
エネルギー源は体に蓄えられている糖と脂肪で、
酸素を使用しながら動きます。

体内に蓄えられている糖が無くなっても、
脂肪を分解しながらエネルギーとして使うため、
長時間その能力を維持することができます。

ダイエットのための有酸素運動(エアロビクス)では、
体内の脂肪を消費するために、赤筋の特徴を利用します。

白筋と赤筋の色の違いは、
酸素分子を代謝に必要な時まで貯蔵する
ミオグロビンという色素タンパク質の量の違いです。

イルカやクジラなどの水生哺乳類は、
長い時間水中に留まるため、
大量の酸素を貯蔵しなければならず、
ミオグロビンが大量に含まれているため
肉の色は陸上の哺乳類よりも赤いという特徴があります。


ダイエット

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ダイエットって言葉はいつから使われているの?

「ダイエット」とはdietと書き、元々は「規定食」と訳される単語でした。しかし、今では美容や肥満解消のための食事制限という意味から、痩せるための活動全体を指す言葉へと解釈が広がり、定着しています。
「ダイエット」という言葉が、日本でいつごろから使われ始めたかご存知でしょうか?実は、いつだれが日本で使い出したかというはっきりとした記述はありません。しかし、ダイエットという言葉が使われ始めたのは1970年代後半、定着したのは、1980年代のようです。それまでは、「美容体操」や「やせ薬」などという言葉が使われており、書籍の題名などとして使用が確認できるのが、1980年前後のことになります。

昔ってどんなダイエット法がはやっていたの?

その昔、多くの人が試した流行りのダイエット法には正統派の物からかなり風変わりなものまでさまざまなものがありました。
1970年「ミコのカロリーBOOK」が150万部の大ベストセラーになり、それまで日本ではなじみのなかった1日2000kcal以内というカロリー制限が紹介されたことから、痩身ブームが始まります。痩身器具としては、ルームランナーやスタイリー、ぶら下がり健康器などが流行りました。
1980年代は一転してゆでたまごだけ、りんごだけ、こんにゃくだけを食べる単品ダイエットがブームになります。ダイエット法を書いたタレント本も次々出版された時期でもあります。
バブルが弾けた1990年代は、ラップを巻くだけマニキュアを塗るだけと言うようなお手軽ダイエットが流行りましたが、2000年以降は理論に基づくダイエット法が試されるようになりました。

昔はどんな体型の女性がモテたの?

モテた女性の体型を、歴史をたどりながら見ていくと、昔も今も意外と近いものが感じられます。例えば、女性が社会進出を始めた1960年代は、高度成長の時代で、アメリカが憧れの対象でした。そのため、当時人気だったマリリン・モンローのような豊満で女性らしい体型が理想とされ、美容整形やエステが注目されるようになります。
しかし、1967年に来日したファッションモデルのツイッギーはそれまでのアメリカ人女性とはイメージが少し異なりました。彼女がはいていたことで一代ブームとなったミニスカートですが、足が長くてやせていなければ似合わない代物です。ツイッギーは当時としては高い165cmという身長に41kgという超痩せ型でしたから、強力なやせ薬を飲み過激なダイエットや美容整形にお金をかける若い女性が問題視されました。


高嶺のビワ

♪♪ ビワはやさしい木の実だから 抱っこし合ってうれている
うすいにじあるろばさんの お耳みたいな葉のかげに ♪♪
(作詞:まどみちお 作曲:磯部俶)

これは、「ビワ」という童謡ですが、ご存知でしょうか?

私にとっては、遠い昔、NHKの「みんなのうた」で耳にして、
とても印象深い歌なのですが、残念ながら、
周囲にはこの歌を知っている人はあまりいません。

近所の庭にあるびわの木に、小さなビワの実が、
まさに歌詞の通り、抱っこし合ってなっているのを見かけました。

頭の中で、この歌が自然に流れて来ます。
『もう、ビワの季節になったのだなあ』と思いながら
スーパーへ行くと、そこにも、ビワが並んでいました。

思わず、手に取ろうとしたのですが…
6個パックで、646円(税込み)、一個100円以上!
値段が目に入ったとたんに、出かかった手は引っ込んでしまいました。

もう一度、目の前にあるビワをじっくり見直してみます。

その名前の由来である楽器の琵琶に似た丸みを帯びた形、
オレンジ色に近い黄色のやさしげな色。
なるほど、近所の庭で見たビワの実と比べると、一回りは大きく、
色も形も美しく整っていて、まるで別物です。

一体、プロのビワはどのように育てられているのでしょうか。

ビワは、他の果樹と違って、11月から1月の冬季に花を咲かせます。

そのため、寒害を受けやすく、
年間の平均気温が15度以上の温暖な地で栽培されます。

そこで、産地も限られ、全国一の生産量を誇る長崎県を筆頭に、
千葉、香川、和歌山、鹿児島、の5県で全国の約7割が占められています。

ビワは、生育旺盛で、たくさんの花をつけ、たくさんの実をつけますが、
そのままでは、実に栄養を取られて、枝葉が成長しないため、
摘蕾、摘花などにより着花制限をしなければなりません。

次に、果実の発育をよくするために、摘果が行われます。

ここでふるいにかけられ、残された実には、袋がかけられます。

そうすることで、擦れ傷や病害虫、雨や強い日光から守られます。

このように、大変な労力をかけて収穫されるビワの実ですが、
とても繊細で、ちょっとしたことで表面の産毛が取れたり、変色したりと傷みやすいのです。

その上、追熟することがなく、長期保存もできないので、
出回る時期もとても短いのです。

それだけ、季節性の高い果物だとも言えます。

こうなると、スーパーに並ぶ美しいビワの実が高いのも仕方がないと納得できますね。

スーパーの実には手が出なくても、ゼリーやジュース、お菓子など
加工品も多く生産されているので、
上品で優しいビワの美味をちょっと違った形で、
味わうことが出来ます。

また、ビワの葉や根、茎、枝、種などに薬効成分が多く含まれ、
病院や病人がいるところにビワの木が植えられていました。

事実、何千年も昔、ビワの木は『大薬王樹』と名付けられており、
奈良時代には、ビワが薬として用いられていた記録も残っていています。

その高い薬効性が、逆説的に物語られているのが興味深いですね。

現在も、健康商品として、ビワの葉のお茶やエッセンス、
種の焼酎漬けなどが生産されています。


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