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赤ワインの様々な効能とは?

一昔前と違って、
今ではワイン専門店ばかりでなく
スーパーのワインコーナーにも、
様々な種類のワインが並ぶようになってきました。

ワインの老舗とも言えるフランスばかりでなく、
南アメリカやアフリカ、オーストラリアから
個性的なワインが輸入され、
ワインファンにとっては嬉しい限りです。

ワインは、美味しさばかりでなく、
含まれる成分の健康効果についても
広く知られています。

赤ワインに含まれるポリフェノールには、
抗酸化力があり、
深刻な病気や老化の原因になるといわれている
活性酸素を体から取り除いてくれます。

特にブドウの種子に含まれるプロアントシアニジンは、
強い抗酸化力を示すことが報告されています。※1

また、
ブドウ種子から抽出したエキスを含むエサを食べたウサギは、
動脈硬化の発症が抑制されたという報告もあります。※2

10種類以上ものポリフェノールが含まれる赤ワインは、
緑茶ポリフェノール量の4倍ともいわれています。

ポリフェノールは、
熱を加えても変化することがないため、
赤ワインを使った料理から摂ることができます。

様々な効能がある赤ワインですが、
健康に良いからといっても、
飲み過ぎには注意しましょう。

※1. 細山浩、有賀敏明:健康食品素材としてのブドウ種子抽出物,FOOD Style21,66-70(1998)
※2. Yamakoshi, J. et al.: Proanthocyanidin-rich extract from grape seeds attenuates the development of aortic atherosclerosis in cholesterol-fed rabbits, Atherosclerosis, 145, 421-422 (1999)


半ドンとどんたく

明治維新以降、
日本人は、西洋文化を大いに受け入れ、
その影響は、暮らしの隅々にまで広がります。

武士は刀を置き、ちょんまげを切り、
羽織袴を背広とズボンに着替えました。

江戸時代には食べることを忌み嫌った牛肉や
血の色を連想させるぶどう酒など、
胃袋の中まで西洋を吸収していきます。

科学の世界においても
同じように西洋化は進みました。

1873年(明治6年)には、
月を暦として使う太陰暦から、
太陽の動きから暦を編む太陽暦が
利用されるようになります。

七曜制度が取り入れられ、
休日についても西洋式となり、
日曜日には、公務を休む事が決められました。※1

江戸時代に日本人の海外交通を禁止し、
外交や貿易を制限した鎖国の影響で、
明治維新後のしばらくの間は、
イギリスよりも長崎の出島から伝わっていた
オランダやドイツの影響の方が優っていました。

日曜日、休日や意味する
ドイツ語のSonntag(ゾンターク)
オランダ語のzondag(ゾォンダーク)という言葉も、
ドンタクと訛って日本国内に広まりました。

完全週休二日制になる前の日本で、
学校や仕事が午前中で終わり、
午後はお休みとなる土曜日の表現、
半ドンにもその名残りが残っています。

半ドンとは、
1日の半分がドンタクという意味です。

また、福岡市で開催される
「博多どんたく※2」祭りの名前にも、
そのしるしが残っています。

※1 太政官達(だじょうかんたっし)第27号 1876年(明治9年)3月12日。
※2 博多どんたく 毎年5月3日と5月4日に催され、動員数200万人を超える福岡市の祭り


神経失調症の基礎知識

交感神経と副交感神経を合わせて、
自律神経と呼びます。

心臓などのように、
自分ではコントロールできない
自動的に働く神経です。

交感神経は、活動する神経であり、
副交感神経は、休む神経といわれています。

交感神経と副交感神経は、
必要に応じて自動的に切りかわって働くようになっていますが、
不規則な生活や習慣などでこのバランスが崩れると、
動悸やめまい、頭痛、憂鬱感などの症状が現れます。

このような自覚症状を感じて、
病院で検査をしてもらった結果、
なにも異常がみつからない場合は、
自律神経失調症と診断されることが少なくありません。

というのも、
自律神経系の不調による症状のあらわれ方は、
非常に不安定で、
複数の症状があらわれる、
あるいは症状が出たり消えたりする場合があります。

自律神経失調症の特効薬というものはなく、
薬物療法やカウンセリングなどの心理療法、
指圧やマッサージなどの理学療法、
症状やタイプを見極めながら、
治療することになります。

また、
原因となる生活環境などを改善するために、
音楽療法やアロマテラピーなど五感に働きかける治療法が
とられることもあります。


缶入り飲み物の遷り変り

今やスーパーあるいはコンビニエンスストアでも、
大きな面積を専有している飲料コーナーですが、
清涼飲料の普及は、
さほど古いお話ではありません。

1951年(昭和26年)清涼飲料の先駆けとなったのは、
びん詰めの100%オレンジ果実飲料でした。

1954年(昭和29年)には、
5 ~6倍程度に希釈された化粧びん詰めの
オレンジジュースが販売されるようになります。

この当時の清涼飲料は、
飲み終わるとガラスびんをお店に返却し、
再利用するリターナブル容器が主流でした。

1955年(昭和30年)には、
缶詰めのオレンジジュースが登場します。

使い切り容器の登場です。

これと呼応するように、
同じ年には自動販売機による
清涼飲料の販売も始まります。

1961年(昭和36年)になると、
コーラの原液輸入が自由化されたことで、
コーラ飲料が本格的に販売されると、
清涼飲料は、全国に普及するようになりました。

清涼飲料の種類も増え、
1969年(昭和44年)には、
世界初の缶コーヒーが登場します。

スポーツドリンクやウーロン茶や緑茶、
缶入りの牛乳や豆乳も登場するようになります。

様々な清涼飲料が登場する中、
容器も遷り変わります。

清涼飲料の容器が、
ガラスからスチール缶の替わり始める頃は、
穴を開けるための缶切りが、
フタ部分についていました。

ある程度年齢を重ね方は、
遠足のお昼ごはんの時などに、
缶に缶切りで穴を開け、
オレンジジュースを飲んだ記憶が
残っている方もいらっしゃるでしょう。

その後アルミ缶の登場によって、
飲み口が改良された
缶切りのいらないプルタブタイプ缶が登場し、
容量や形も多岐にわたるようになります。

さらに、1980年代(昭和55年)には、
缶のプルタブをポイ捨てする環境問題などから、
タブが外れないプルトップ方式に切り替わりました。

近年、缶入りの清涼飲料は、
ペットボトルに主役の座を明け渡しつつあります。

したがって平成生まれの子どもたちにとっては、
プルトップ集めや缶切りがセットされたタイプの缶は、
実際には見たことのない昭和の歴史ということになります。


ミネラルウォーターを知る

昭和の時代には、
ボトル入りの水を買うなどという習慣は、
ほとんどありませんでした。

現在では、
スーパーやコンビニエンスストアなどで
様々な水が販売されています。

「おいしい天然水」
「美しい山麓から湧き出た清流水」などといった
キャッチコピーで売られているミネラルウォーターは、
今では私たちの暮らしと切り離せない商品になっています。

考えてみると、
水道が普及する前の日本では、
地下から組み上げた井戸水、まさしく元祖ミネラルウォーターを、
飲料用の水として使っていた時代もあったわけです。

では、井戸水と現在市販されているミネラルウォーターでは、
何が違うのでしょうか?

農林水産省が定めている
ミネラルウォーターの品質に関するガイドラインでは、
水の区分を大きく3つに分けています。

特定の水源から採取された地下水を、
ろ過や過熱殺菌、沈殿の殺菌処理のみ行っている
「ナチュラルウォーター」。

ミネラル(二酸化炭素も含む)を含む
特定の水源から採取された地下水に
ろ過や過熱殺菌、沈殿の殺菌処理がされた
「ナチュラルミネラルウォーター」。

ナチュラルミネラルウォーターを
ミネラル調整や浄水処理し、
品質を一定に保っている
「ミネラルウォーター」です。

ミネラルウォーターといっても
成分調整、無調整で分類されているのです。

また、同じミネラルウォーターであっても、
外国から輸入されるものは、
生産国の基準でボトリングしていますので、
ヨーロッパのようにミネラル分が豊富で、
水の硬度(※1)が高いミネラルウォーターは、
特有の味を感じる場合もあります。

※1 硬度:水に含まれている
カルシウムとマグネシウムの合計量によって、
一定の水準より少ない場合を軟水、
多い場合を硬水といいます。


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