「只」ではない貴重な日本語
日本語の不思議さは、
それぞれの漢字の意味を組み合わせることで、
新しい言葉を作り、
元の意味からは想像できないような
新しい意味を生み出すことです。
アルファベット26文字を使用する言語とは、
言葉を作る過程が違った言語と言えます。
例えば
「只者ではない」
「お母さん只今」
「只で手に入れる」
という表現で使われる「只」という言葉は、
使う場面が随分違います。
「只」のもともとの意味は、
「何事もない」ということです。
「只の勘違いでした。」
などの言葉として使います。
何事もないということが、
お金がかからないという意味へと
転用されて新しい言葉が派生します。
「この事務所の使用料は只です。」
といった具合です。
価値や行為の提供において、
与える人が、お金やその対価を
何も求めないという意味になります。
また、何事もないという意味から、
「彼は只の管理人だ。」
「今は只、皆が無事でいるように祈るだけだ。」
さらに、無いということは、
ほとんどない少ないという事とも似ていますので
ほぼ無いということを強調するために、
「グチは只の一度も言ったことがない。」
「只ひとつだけお願いがあります。」
この少ないという意味を
今という時間の表現に付けると、
只今という言葉になります。
「只今の時刻は12時10分です。」
瞬間を表現する、
「只今お持ちします。」
現在よりもわずかに先のことを伝えるためにも
使うようになります。
外出から帰った時のあいさつである
「ただいま」は、
「只今帰りました。」の省略形です。
いつの頃から使われていたか?
ということは定かではありませんが、
日本語の進化の歴史が
言葉の端々に重ねられています。